スペイン巡礼を終えて感じた3つのこと
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ふと、本を読んでいたら呼ばれているような気がしてきた今回の旅
行く前に、目的とか目標とか具体的な成長がないと行く意味ないなんていってた人もいたけど
やっぱり来てよかった
ここに来るキッカケとなったシャーリーマクレーンの「カミーノ」ほどの壮大な体験とは行かなかったものの、精神的な良い気づきができた
今回いろんなことを感じた
その中で一番大きなものが「愛することの大切さ」だ
自分が好きな人とか、友達とかを愛すのはもちろん誰もが行ってることで
そこからさらに全くの他人や苦手な人にまでも愛を持って接すれるようになったとき、自分の世界は愛で溢れるんだと思う
考えてみれば、俺の知る愛に溢れてる人って誰に対してもそーいう行動をとってる
(というか、もう意識してとかじゃなくて自然にそーなってるんだろうけど)
そして、いろんな人に愛を送りまくってる人が、見ていて1番幸せそうだ
その一歩として、挨拶はとても大事なんだなと思った
あと、譲り合うことも愛だなと思った
狭い道をあるいていて、すれ違うときに肩が当たるので横に寄って相手に譲るみたいなことが現実ではいっぱいある
そーいうとき、自分が強い弱いとか正しい正しくないとかじゃなくて
相手に譲ってあげる愛
譲り合いは譲り愛だと思う
怒りをぶつけることは簡単
それをいかに愛せるかなのかなと思った
そして、二つ目に感じたことは
「先のことを不安に思う必要なんてない」ってこと
全ては自分を良い方に導いてくれてるのだから、何があってもそれをしっかりと受け止めてあげればいい
自分の思い通りの未来になるか
なんてことはそれほど重要じゃないんだと思う
重要なのは、起こったことを受け入れること
例えると、めっちゃ好きな子がいて付き合いたいんだけど、アタックしたんだけどダメだった
けど、他の子が現れてその子はそれほど自分のタイプじゃないんだけどなぜか付き合うことになった
みたいなことで
自分の願望や欲のままにしたいのが人間だけど、そーいかないことも沢山あって、世界を変えんじゃなくて世界を受け入れるってこと
そーいえば、この感じ
去年、アルケミストトークに行った時に山川さんがこんなことを言っていたな〜
「もう最近は川に流されるみたいに、体を自然に任せてます」
って
究極になると、そーなるのだろう
もはや自分が何をしたいとかじゃなくて、起こったことを受け入れる
まるで、範馬刃牙に郭海王がやっていた「シャオリー」みたいだ
って、この例えは分かりづらいか笑笑
けど、こーいう考え方ができるようになったら先の不安なんて無くなる
だって、一見悪いことや不幸せなことが起きてもそれは自分にとっては意味のある良いことだから何も不安に感じる必要はないんだから
そして三つ目
これは、聖なる予言を読んだのもあるんだけど、誰かと会うときそれは偶然じゃなくて必然で
その人は自分にとっての何かしらのメッセージを持っているってこと
これが100%までとは思ってないけど、
たしかにあると思う
特に、巡礼中では毎日新しい人と会った
なぜ今この人が目の前に現れたんだろう?
この人はどーいうメッセージを俺に伝えに来たんだろう?
って思えば、前以上にその人に話してみようって気が起きる
それができれば、その人から教えられることとか気づくことが出てくる
「俺もこーいうとこは見習うべきだな」とか「その考え方は自分にはなかった」とか
そして、人にだけじゃなくていろんな出来事からも気づきを得られるようになる
この3つの気づきはスペイン巡礼に来たからこそ気づけたことで、俺にとっては大収穫だった
あとは、この感覚を忘れずに日本に帰ってからも続けていくことだ
それで初めて本物になる
今回の旅はいままでとは全く違うものになった
今までは、わざと難しい条件で旅をして、いろんな困難を乗り越えていって感動を得ていた
今回も確かに簡単とまでは言えない
けど、起こった出来事うんぬんより感じたことの方が頭に残ってる
そして巡礼を終えた今
いつになく俺の心は穏やかだ
だいぶ前に京都に座禅1週間合宿行った後の感じに少し似てる
けど、それ以上
先への不安はない
これからももっともっと、新たな気づきをしていこうと思う!
きっと未来は愛と希望に満ち溢れてるのだから😁